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2023/07/22 13:53



阪急電鉄や阪急百貨店、宝塚歌劇団など多くの事業を生み出した実業家である小林一三氏の言葉です。
仕事には雑用だと思えるようなものや、やりたくは無いけど仕方なしにやらざるを得ないものもあると思います。
しかし、腐らずに、自分が与えられた仕事をどうやったら一番良く出来るかを考え実行する人と、ただ単に無難にこなす人では大きな差が出来てしまうでしょう。
しかも、受け身で仕方なしにやるのではなく、積極的な姿勢でそういう工夫をして行うのは楽しいものですし、その結果喜んでもらえれば、さらに楽しいものです。
秀吉の草履とりの話が、どこまで本当なのかはわかりませんが、少なくともはっきりしていることとして、もし秀吉が信長に認められ、取り立てられなかったら、その後の日本史は大きく変わったことは間違いありません。
本能寺の変の後も国内を平定する人物が現れず、延々と戦国時代が続いていったかもしれません。
それこそ、遠い祖先が戦死して、私たちのうちの誰かがこの世に存在していなかったこともあるでしょう。
人の生き方、仕事の仕方が、たとえそれが些細なことであっても、世の中に大きな影響を与えかねないことが分かりますネ。

サステナブルサンダルは信長の草履(ぞうり)取りの秀吉の仕事に近くあってほしいです。

主人の外出や帰宅の際に履物を出し入れする係りのことです。 今で言う下足番(げそくばん)のようなものですが、下足番という言葉も現在ではあまり耳にしませんね。 座敷がある店では、店員さんが靴を仕舞ったり、揃えてくれたりするところがありますが、それを専任でやる、言ってしまえば雑用的な仕事です。
永禄元年(1558年)、信長が鷹狩りにでたとき、秀吉は願い出てやっとのことで草履取りとなった。
そのころの信長は若く、夜ごと忍んで局(つぼね、=女部屋)に通っており、内々のことであるために草履取りだけを召し連れていた。そんなある日のことである。最高の遊び人すね。


多くの人は、信長に忠誠を示したい秀吉としては「草履を懐に入れて温めていた」と記憶しているのではないでしょうか。
草履を温めたかどうかはともかく、低い身分で信長に仕えて認められ、出世していったことは事実です。本当かどうかはわかりませんが、寒い日に草履を温めようという機転は、人たらしの秀吉ならやりそうだなあと思うのです。
ご存じの方も多いと思いますが、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が昔、織田信長に仕え始めの頃、この草履取りをしていました。
寒い冬、信長が出かけようとすると、草履が暖かかったため、
「猿め!わしの草履を尻の下に敷いておったな!」
と怒ると、「いえ、上様がお出かけになる時に冷たくないように懐で暖めておりました」
と答え、見ると懐に土が付いていた、という有名な話があります。
そこから、藤吉郎(後の豊臣秀吉)は信長にひきたてられて出世をし、最後には天下人へと上り詰めます。
気が利く。ということなのでしょうが、どうしたら自分の仕事を喜んでもらえるかを考えた結果でもあります。


これが第二の人生をスローニンだけでなく皆さんにも知ってもらいたい現代を生き抜くための幸せのインスピレーションだと思っています。
現代の私たちの豊かなライフスタイルを生み出した小林一三(1873-1957)に感謝と尊敬の合掌🎵